今日は、12月22日で関西統一日の1月14日まであと23日です。
今日は朝から学校行って、帰ってきてからすぐに塾です。
18:00-21:00まで最後の過去問特訓。
すでに志望校の過去問は8年分は終わっているので、時間があるときにそれ以前の分もやっていく予定です。
20年分の赤本が売っているので、それを買ってやっています。
学校も2学期終了まで、今日を入れてあと二日です。
1月は10日から始まるのですが、14日の本番まで休ませる予定です。
体力的にしんどければ休んでもいいよと言ってはいるのですが、
やっぱり学校は楽しいのか、今日もいつも通り学校へ行きました。
1月は本番まで休ませるのが、ストレス発散の場である学校へ行けなくなることで、よりストレスが溜まらないか少し心配ではあります。
親としてつくづくありがたいなと思うことは、3兄弟とも「学校に行きたくない」と言ったことが一度もないことです。
三男に至っては、学校がラブすぎるのかわかりませんが、学校にめちゃくちゃ早く出発します。
クラスで一番早く学校に着きたいみたいです。
意味がわかりません。
職業柄、精神科医として不登校のお子さんに接する機会があります。
不登校の原因と治療を目的に私の外来を受診します。
理由は様々で、
✅友達関係
✅勉強関係
✅家庭の事情
など様々です。
その中でも解決が難しいのが、
「勉強関係」
です。
特に、小学校高学年や中学校にもなると、勉強が遅れるとなかなか挽回することが難しくなります。
特に算数や数学は、ステップアップしていくのが特徴なので、どこかのステップで躓くとそれ以降も躓くことになります。
そして、いつしか算数や数学の授業が英語の授業以上に、
「外国語を聞いているかのように感じる」
という事態に陥ってしまいます。
特に中学校にもなると、小学校と違って、
明確な得点で評価される
ようになり、「勉強ができない」というレッテルを貼られたような気持になります。
小学校までは点数で明確に評価される場面は少なかったのが、中学校で明確に点数で評価されてしまいます。
プライドがあるので、親にはなかなか言えません。
親も自分の子がついていけていない現実を直視できません。まさかうちの子に限って…というやつです。
そしていつしか不登校になっていきます。
「体調が悪い」
とか
「友達関係がうまくいっていない」
などと直接的に「勉強についていけていない」とは言えないのです。
よくわからないまま月日は流れて、不登校からなかなか抜け出せない状態となってしまいます。
そして、受診となるのですが、親がいないところで話を聞くと、
「勉強についていけなくて辛い」
という本音を吐露してくれます。
友達関係がうまくいていないというのは、カモフラージュであることが少なくないです。
親自身も勉強ができていないということで不登校になったことは薄々と気づいていながら、受け入れられないという気持ちが原因があいまいになってしまう理由です。
正直なところ、こうなってしまうと解決策が非常に難しいです。
現状の義務教育では、いったん置いてかれると、元に戻してあげるプログラムがほぼないからです。
✅個別指導や家庭教師はお金がかかる。
✅親が教える時間も体力もない。
✅学校でついていけない子に特別なプログラムを用意できるリソースがない。
など、「原因」はわかっても解決方法がありません。
もちろん、薬もないのです。
「なにをやってもうまくいかない。できない。」
という劣等感が幼少期から芽生えてくると、引きこもり、不登校からの離脱は難しくなります。
自己肯定感がないまま大人になってしまいます。
今日の読売新聞の記事がありました。
ギフテッドに8000万円の予算を割くというものです。
特異な才能のある子供は、障害があったり、同世代の子供と発達レベルに差があったりし、対人関係がうまくいかず、不登校になるケースもある
読売新聞より
上記のケースに予算を割くというものです。
そもそも8000万って規模が小さすぎるし、ギフテッドの定義自体はっきりしていないので、空振り感満載の企画であるような感じがします。
でも実際のところ、才能がある子が、才能を持て余し不登校になってしまうケースってそんなに多くはないと思うんですよね。
同時に「勉強ができない」ほうにも目を向けて何らかの介入をしてあげるもの大事だと思います。
学校では、真ん中に合わせた授業を展開していますが、「二極化」が進んでいる現状では能力別に授業をすべきだと思います。
上の図にあるように、フタコブラクダ化が進んだ日本の小学校・中学校では、平均に向けた授業は、
「ついていけない子には難しすぎる」
「進んでいる子には簡単すぎる」
でどちらにとっても退屈なものになっています。
体育の跳び箱の授業のように
「跳べる子は、より高い跳び箱」
「苦手な子は、低い跳び箱」
で練習するように、勉強もそうすべきなんですよね。
少なくとも、ステップアップしていく「算数」や「数学」は、レベル別にしていくほうが良いと思います。
そもそも算数や数学は苦手な子は無理に難しいところまでやらなくていいですし。
やればある程度はできるというほどほどでも全然問題ないのです。
逆に、できる子に対してもより伸ばすようにレベル別にすべきですよね。
では、どうやってレベル別にすればよいのか?が難しいです。
基本的には、テストの点数で区切るしかないと思います。
それが差別を生むのではないかという意見がありますが、私はそうはおもいません。
とうのも、レベル別にしていない現状でも学力の差は「テストの点数」で明らかなので、いまさら「能力別にしたら差別を生む」というのはないと思います。まったくないと言いませんが。
それよりも点数が悪く劣等感を感じ脱落していくほうがよくないと思います。
体育ができる子もいれば、算数または理科が得意な子がいる。
プログラミングや英語が好きな子もいる。
結局のところ、苦手なことを克服する必要はないんです。
得意なことを伸ばしていくことのほうが大事なんです。
ただ、苦手なことについていけずに劣等感を感じ、不登校になることはもったいないです。
その意味でも、「レベル別」にして最低限の水準を下げるべきだと思います。
最後にドラッカーの名言で締めたいと思います。
努力しても並にしかなれない分野に無駄な時間を使わないことである。
強みに集中すべきである。
無能を並の水準にするには、一流を超一流にするよりも、はるかに多くのエネルギーを必要とする。しかるに、多くの人達、組織、そして学校の先生方が、無能を並にすることに懸命になっている。
資源にしても、時間にしても、強みをもとに、スターを生むために使うべきである。
P.F.ドラッカー
人が何かを成し遂げるのは、強みによってのみである。
弱みはいくら強化しても平凡になることさえ疑わしい。
強みに集中し、卓越した成果をあげよ。
P.F.ドラッカー
最後までお読みいただきありがとうございました。
あ、ちなみに、自分の子どもをギフテッドかもって思ったことはないです。
子どもが不登校にならなうようにするために記事を書いています。参考にしてください。
また、お子さんを算数好きにする方法も参考にしてみてください。
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