今回は、「やっぱり公立中学校には行かせたくない」という出来事があったことについて書きたいと思います。
先日、
「やっぱり公立はダメだな」
って三男(小2)の通知表を見て悟りました。
私自身のトラウマ的な経験から生じた偏見ですが、成績評価において「学校の女性教師は渋い(ケチ)」という印象をさらに深める出来事が先日ありました。
私自身、公立小学校や中学校で理不尽だなと思う成績のつけられたことが過去にあります。女性教師でした。
通知表って、担当教師の主観が多分に盛り込まれるので、教師の靴を舐めるくらいの態度で臨まないといけないのがリスクすぎます。
そんなことを気にしながら学校生活を送るなんて、子供に悪影響を与えます。
ゴマする人間が出世する…という大人の世界を子供にも強いているようなもんです。
三男が通っている小学校(公立)の通知表は、学期ごとに
◎よくできる、〇ふつう、△できない
の3段階で評価されます。
各教科3項目くらい評価項目があり、合計で20項目くらいをそれぞれ3段階で評価されるシステムです。
ちなみに、三男の担任の先生は「30代女性」です。
可もなく不可もない教師というのは聞いていました。
つまり、、、
教育に情熱を持っているわけではなく、淡々とノルマをこなすだけの教師
ということでしょう…
私が学校の成績に関してはあまり興味がないということもあり、学校の通知表を夏休みの終わりまで見ていませんでした。
でも、夏休み終わりの日に何気なく見てみたら
「全部ふつう」
でした。
「◎よくできる」が一つもなかったのです
親バカと思われているかもしれませんが、三男は、小1から二重跳びをバンバン跳べたり水泳も苦手ではなく運動神経が悪いわけではないです。
勉強に関しても算数だと公文で分数の通分して足し算するところまで到達しているし、授業参観を見に行ってもちゃんと手を挙げて発表をしていました。
もちろん、大きな問題行動を起こしたこともなく、友達ともうまく遊んでいるし、放課後は一緒に野球をしたりしています。
そんな三男の通知表が
「全部ふつう」
は意味がわかりませんでした。
まぁ、「女性教師特有のケチな成績の付け方」がまた発動したんだな程度で受け止めて消化しようとしました。
ただ、三男は私に黙っていたくらいだから少しはショックを受けていたと思います。
だから、「学校の成績はどうでもいいから、公文頑張っているから大丈夫」とだけ伝えました。
私の考えでは、学校の成績より公文、さらには中学受験を目指す塾での成績が重要なので「まぁムカつくけど仕方ない」という程度でした。
学校以外の評価軸を持つことの需要性を実感しました。
ところが、昨日、妻から「お友達も全部ふつうだった」との話を聞きました。
よく野球一緒にするお友達のママから、そのお友達は通知表が全部ふつうで酷くショックを受けて、もう学校に行きたくないと泣いていたとのことでした。
もちろん、そのお友達も問題があるわけではありません。
妻がママ友に「三男も全部ふつうだった」ことを伝えたところ、かなり安堵した様子であったとのことででした。
そのお友達は公文は習っておらず、学校の成績だけが唯一の評価軸だったから、「全部ふつう」という成績にショックを受けたのでしょう。
「全部ふつう」っていうのは、小さな子供からすると
「なんの取り柄もない子供」
っていう受け止め方するんですよね。
まじで、頼むよ、、、女性教師よ、、、せめて低学年の子供に「全部ふつう」はやめてくれ。少しでもいいところを見つけて1つか2つでも「よくできる」をつけてくれ!
忙しいのはわかるけど、少しでもいいところを見つけるのが教師の仕事の一つじゃないのか!?
確かによ、うちの三男は経済的に裕福で、母は綺麗な方で、のびのび育っているように見えてムカつくかもしれない。だけど、そういう私情を挟まないでほしいんよ。
まぁ、うちの三男はいい、学校以外の評価軸を持っているから大丈夫。
だけどな、学校以外に成績の評価軸を持っていない子がたくさんいるんよ。
その子達は学校の通知表が楽しみだったりするんよ。
それが「全部ふつう」って、、、それはないぜ。
ほんと、女性教師はケチすぎるという印象を強めるには十分すぎる出来事だった。
完全な主観で、偏見なのはわかっている。
ただよ、まじでケチすぎるんだわ。
一方で女医さんは恰幅がいい人が多い。ケチケチしてない。この差は一体なんなのよ?
我々はその謎を解くべく、アマゾンの奥地へと向かった…
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